表2 種子島の岩穴風呂遺跡一覧 |
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所在地 |
立地 |
規模 |
功能 |
備考 |
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西之表市国上湊 |
丘の中腹 |
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〃 沖ヶ浜田部 |
神社の付近 |
内部は6尺四方 |
破傷風・出来物・淋病 |
真ん中に火を焚き、背を向けて汗を流す。水桶を置き、暑ければ飲む。硫黄を焚くことも。大正中期まで使用。 |
3 |
〃 大崎花里崎 |
山中 |
内部は畳3帖ほど |
天然痘 |
火を焚き硫黄を燃やして養生。すでに経験者はいない。 |
4 |
〃 安城大野 |
神社の付近 |
入口の高さ5尺度。内部は径2尋。 |
草ぶるい |
中央で火を焚き、身体をあぶって汗を流す。道路建設で破壊された。 |
5 |
〃 安城下之町 |
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火を焚いて身体をぬくめた。周辺の地名を「湯穴のくぼ」といい、古くからある。 |
6 |
〃 現和武部 |
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自然洞を利用。士族らも湯治に用いたと伝える。 |
7 |
中種子町泊久今熊野 |
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病気の治療目的ではなく単なる蒸し風呂。男女とも裸で入浴。大正時代まで使用。 |
8 |
〃 坂井熊野 |
畑の脇 |
入口は縦1.05m・横0.95m、内部は2.1m×3.1m。 |
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入口の穴の上に蓋(扉)をくくりつけるための小孔がうがたれている。 |
9 |
南種子町平山冷水 |
山中 |
入口は縦4尺・横2尺、内部は2m×1.8m。 |
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戦時中は防空壕として利用。内部は大人が5〜6人程度座れる広さ。 |
10 |
〃 平山広田 |
海岸付近 |
入口は縦1.3m。内部は2m四方。高1.5m。 |
破傷風・神経痛・リューマチ |
戦前まで焚いた。南種子町の文化財(史跡)に指定されている。 |
11 |
〃 平山浜田 |
海岸付近 |
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自然洞穴に木や竹を組んだ人工的な壁(表面に粘土を塗る)を付け足して広くし、10人くらい入れるようにした。昭和初期まで使用。 |
12 |
〃 平山徳瀬 |
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1949年頃まで使用。 |
13 |
〃 平山前田(ムタダ) |
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「湯中のうと」という所にあり冬の農閑期に7〜10日間焚く。午前中に4〜5人の世話人が薪を運び洞内で焚く。午後は浴衣などを着て2〜3回入浴。手弁当で湯穴上りする。米1升ずつ持ち寄って世話人に謝礼。 |
14 |
〃 平山仲之町 |
山中 |
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〃 茎永阿多惜経 |
@山中・A墓地脇 |
Aの方は一度に10人くらい入れる広さ。 |
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@のある山を柳弓場塩入(やなぎゆみばしおいり)という。1907年頃まで使用。Aはそれ以前に休止。田植え上がりの閑期や盆の前後に1週間ほど焚く。老人2〜3人が周囲5尺の薪5〜6束を燃やす。燠の上にクスノキ・バショウの葉を敷き、午後入浴。「上がり」は酒肴を持ち寄って歌舞で賑わった。 |
16 |
〃 茎永仲之町 |
山麓 |
入口は縦1.5m・横1m。洞内は幅2m、奥行3m。 |
草ぶるい |
1921年頃までやった。年に2〜3回焚き、1週間続ける。生木を中心に焚き、燠の上に木の葉を敷く。最終日に「湯穴上がり」。 |
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〃 茎永雨田 |
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1918〜1919年頃まで焚いた。 |
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〃 茎永松原 |
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銭木という所にあった。 |
19 |
〃 下中夏田 |
山中 |
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1907年頃まで焚いた。年に1回、田植え前に焚いた。洞内で火を焚き、生柴を敷いた。 |
20 |
〃 下中里 |
川沿い |
洞内は畳2帖ほどの広さで、一度に6〜7人が入れた。 |
身体のだるさ・神経痛・草ぶるい・喘息 |
1929〜1930年頃まで焚いた。2〜3人の老人が発起して2時間かけて焚く。年に2〜3回、農閑期に10日間焚く。燠の上にクス・イゲシの葉を敷く。15分間を2〜3回入浴。「湯穴上がり」は御馳走を持ち寄り酒盛り。 |
21 |
〃 西之田代 |
神社境内 |
入口は縦1.2m・横1m。洞内は直径2mの円形。 |
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粘土層を掘った洞穴。4人くらい入ると満員になった。 |
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〃 西之中西目 |
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1897年頃まで焚いた。 |
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〃 島間牛原 |
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〃 島間上方 |
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〃 島間田尾 |
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〃 上里 |
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夏と冬の農閑期に老人らが中心となって焚く。洞内にドロ石を敷いて火を焚いた男は褌一つ、女は腰巻だけで入浴。「湯穴上がり」もしたらしい。 |
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〃 河内 |
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大正末期まで焚いた。2ヶ所あった。責任者の老人を「火竿取り」といい朝から焚き始める。昼から入浴し1日に3回くらい入る。 |
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西之表市現和武部 |
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入口は縦2m・横3m、内部は1×3.5m。 |
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明治時代まで利用。洞穴内で火を焚き、床にイカダを組んで、その上に裸で寝る。 |
注)川崎,1969a:pp.1-6;1969b:pp.1-8;1970:pp.6-7をもとに作成。次図も同様。 |